紅牙のTRPG的何やかや

鎮守 幸せの一幕

小さなアパートメントは全室で、笑いと活気に満ちている。

この陽喜は、霧の街とも呼ばれるこの街で、ひさびさに陽光が燦々とふりそそいでいるばかりではないだろう。

今日は鎮守の誕生日だった。

談笑する友人達。歌い騒ぐ親父共。走り回る子供達。料理に興じる母達。
皆が心優しき東洋の隣人のバースデーを祝っているのだ。

自宅でこぢんまりとパーティーを催すつもりだった鎮守は驚きを隠せないようだったが、皆の行為に素直に感謝した。

今ではこのアパート全体がパーティー会場となっている。

と、鎮守の部屋にノックの音。

どうぞ、開いていますよ。

ドアは開け放しておいたような気がしたが、それはともかく鎮守は声をかける。しかしドアは開かず、再度ノックの音がする。
鍋か何かで両手がふさがっているのかもしれない。実際そういうことが何度かあったのでドアは開けておいたはずだ。まぁ特に止めておかなかったので、風やなにやで閉まったのかもしれなかったが。

今開けます。

扉を開けると、「ハーピーバースデー」の声と共に抱きついてくる。…というよりは、もはや飛びかかるといった風情だ。

この手加減を知らない少女はヒディン=ラー。皆にディアと親しまれる良い子ちゃんだ。くちさがない友人からは"アイアン・メイデン"などと陰口をたたかれたりもするのだが…。

ディアちゃん。来てくれたのね?うれしいわ。

突撃によって崩れたバランスをとるために、鎮守とディアは抱き合いながらくるくると回る。いつものごとく男装している鎮守と小柄な少女の円舞は皆の笑いを誘った。

ひとしきり笑った後、ディアは落ちつかな気に周囲をきょろきょろと見回し、ちょっとがっくりしたような表情を見せる。
その様子に鎮守は失笑を禁じ得なかったが、ディアにバレない内に優しい表情に戻る。

竜牙さんもいらしてくれるそうよ。

え?ほんと?

頬を赤らめながら素直に喜ぶディアにほほえみを向けながら、外套を脱がせる。裾のふわりとしたパールピンクのドレスは、幼い顔立ちのディアにとてもよく似合っている。

せっかくおめかししてきたんだものね。かわいいわよ。

ほめられて照れたのか、えへへと笑いながらワカメ踊りを踊る。

ところで、なんでシズモリは普段着なの?

え?だって、お客様をおもてなしするのに、この方が動きやすいじゃない。

さも意外そうにいう鎮守の言葉に、ディアは子供のように頬をぷっと膨らませて抗議する。

だめよぅ。女の子はこういうときはきれいにするものなのよ?

…女の子って…。ちょっと歳が…。

あたしと同じでしょ。それにこういうのに歳は関係ないの。ほらほら。

それにほら、私身長が…。

結局、強引に押し切られるかたちでクローゼットのある自室に押し込まれる。
後はもうお定まりのパターンである。世のおばちゃん達というのはどうしてこう早耳なのだろうか?噂を聞きつけると早速、鎮守を飾り立てようと皆が皆あれこれと持ち寄るものだから、それから数時間にわたって着せ替え人形と化す鎮守だった。大半が子供服だったあたり、ちょっとばかり傷つく鎮守だった。

放浪科学者フォード=ウイングが現れたのは、そんな大騒ぎのさなかだった。

未だ興奮さめやらぬおばちゃん達を何とかなだめすかして、いつもの服装に戻った鎮守がリビングに戻ってみると、そこに彼はいた。

フォードさん。

やぁ、どうも。お招きにあずかり…おめでとう。

お出迎えもしないで…ごめんなさい。いらしてくれてうれしいです。

いやいや…。そうそう、ポリアンナに今日釣った獲物があるんだけど、使ってくれるかな。

礼を言い出ていく鎮守だが、ものすごい勢いで帰ってくる。

フォードさん!あれ…あれなんですか?

そのあまりの剣幕に、何事かとディアもポリアンナの元に赴く。そしてすぐ、外からディアの驚愕の叫びが聞こえてくる。さしもの"アイアン・メイデン"もこれには驚いたようだ。

キングサーモン。

表情も変えずに、さらりと事も無げにいうフォード。ひょうひょうとしたところはあいも変わらずだ。

…どこで?

今の時間は1時を少し回ったところ。どう考えても、今日釣ってアラスカから帰ってきたとは思えない。第一まだ動いていた。

ポリアンナの後ろに荷車が増設してあり、その上のひび割れをガムテープで補修した生け簀で悠々と泳いでいたのだ。あまりの異様さにポリアンナの周りは人だかりができている。

ロンドン橋の下。

何をどう考えてもそんな所にキングサーモンがいるわけがない。

ほんとうはシロナガスクジラあたりがよかったんだけど…。座標設定が甘かったみたいでねぇ…。

もはや何も言うまい。そう鎮守は思った。

彼の言からして、また怪しげな機械を使ったのはまちがいない。それがどういうものであるにしろ、少なくとも鎮守の理解や常識の範疇を越えるものであるのは間違いない。

それに、シロナガスクジラを生きたまま持ってこられるよりは、キングサーモンの方が断然ましだ。

機械を誤作動させてくれた神に感謝の祈りを捧げつつ、鎮守はキングサーモンをどう料理したものかと頭を悩ませるのだった。

夕刻を過ぎたころ、両手にからこぼれそうなほどの花束を抱えた花屋のおじさんが、奥さんを伴って訪ねてきてくれた。奥さんの方もこれまたたくさん花を抱えている。かっぷくのいい夫婦だが、そのからだが小さく見えるほどだ。

ハッピーバースデー。お嬢ちゃん。

わぁ…おじさんおばさん、ありがとう。

いやいや、これはワシ等からじゃないんだよ。…バスを借りるよ。

シンクでは収まりきらないので、バスタブに水を張り、とりあえずはそこに放り込んでおく。

いやなに、何日か前に近所の子が来てねぇ…怖そうなおじさんに渡してこいって言われたって封筒をだすのさ…いやもうおどろいたよ。今日ここにバースデーフラワーをっていうカードと金貨が入ってるんだから。

聞いた話によればその金貨はとても由緒正しく、しかも価値のある金貨らしかった。

ただの金貨でさえ、バースデーフラワーにはすぎた値段だというのに。
おそらくはイッフィーニの仕業だろう。しかし、子供にまで怖そうなおじさん呼ばわりされているとは…心に幾ばくかの同情を覚える鎮守だった。

これでもまだもらいすぎだから、入り用の時はいつでも言ってちょうだい。大サービスしちゃうよ。

ありがとう、おじさんおばさん。

バスルームに立ちこめる濃厚な花の香りを胸一杯に吸い込みながら、感謝を込めて礼を言う。目の前のかっぷくと人の良い花屋夫婦とこの場にいない友、心優しきマフィアのボン(笑)イッフィーニ=ベイズルックに。

月が中天にかかるころ、街中のガラスよ割れよとばかりの轟音と虫眼鏡を通して太陽を見たときのような強烈な光が街を貫いた。

しばらくして、鎮守の部屋に薄汚れた白衣を着た老人が姿を見せる。

やっぱり…プロフェッサー。もう遅いんですからもう少し地味に登場してくださいよ。

いゃぁ、すまんすまん。研究でチと手が離せなくてなぁ。三日後からきたんじゃ。

弱り顔で抗議してくる鎮守をしりめに、かかかと豪快に笑いながら、さらりととんでもないことを言う。プロフェッサーこと霊科学の権威アイデリック=カリルオス老。

これが他の人ならさしておもしろくもない冗句にしか聞こえないが、この老人が言うとあながち冗談とは言い切れないところがあるのだった。

誕生日おめでとう。ミス神楽坂。

芝居がかかった仕草でそういうと、鎮守の返礼を待ってから、すぐさま食事にとりかかるのだった。

おそらく食事もロクにせずに研究に没頭していたのだろう。ひとしきり食事を詰め込むと、フォードを捕まえて常人には遠く理解の及ばない会話で盛り上がる。いついかなる時もマイペースな爺である。

余談だが、この後周辺調査に来た警察官に終始しらをきり通さなければならないハメになったのは言うまでもない。

夜も更けて、そろそろ鎮守の誕生日も終りというころ。黒衣の戦闘員こと十六夜 竜牙があらわれた。手には眠りこけた小夜子を抱いている。

遅くなってすみません。お休みだったら帰ろうと思ったんですが、明かりがついていたので…

残念。後一時間早ければ、セーフだったのですけど…。

鎮守には珍しく、いびり口調だ。実際、日が変わるまではまだ三十分ほどある。

竜牙が訝しんでいると、鎮守はくすくすと笑いながら小夜子を抱き取る。視線を追えば、ソファで寝崩れているディアに辿り着く。

「鎮守さんにはかなわんな」という顔を隠しもせずに、礼儀に習って型どおりに祝いの言葉を鎮守に捧げた後、ディアのそばへと向かう。

竜牙が近付いてくるのが分かったのか、ディアは呻きを漏らして目を開ける。

こんばんは。ディアさん。

その時に"ディア"の見せた笑顔。それは今日受け取ったどんな贈り物よりも鎮守の心を喜びで満たしたのだった。