紅牙のTRPG的何やかや

ある導師の最後

天には飛ぶ鳥もなく、地には走る獣もない。眼前にはただひたすらに続く砂と空の描き出す二色しかない景色。

そんな広大な砂漠を渡る一団がいる。

一団と言っても老婆を先頭に、赤ん坊を抱いた若い夫婦の四人。

荷馬もつれておらず、荷物も少ない。・・・どうも状況を見るに、遭難しているようだ。

先頭の老婆は歳相応に白髪で、緑の瞳をしている。杖をつきながら、ゆっくりと進んでいるが、その足取りはほかの二人よりも確かだ。

若い夫婦は、黒髪で茶色の瞳をしている。疲弊してはいるが、我が子をかばう気遣う余裕は失せていない様だった。幼子は弱っているようではあるが顔色はうせてはいない。しかし、夫婦の歩みはとても遅い。お互いを支えあいながらも、前を行く老婆についていくのがやっとといった風情だ。

すこし、休みましょうか。

老婆が夫婦に声をかけるとともに、奇妙な呼吸をしだす。

は~・・・・。

老婆が手をかざした方の砂山が、じわじわと動き出す。まるで、大きな見えない手で少しづつ砂をかいているようだ。

ありがとうございます、導師様。

動いた砂山の作る日陰に腰をおろしながら、消え入るような声で男が礼を言う。

老婆の差し出す水袋を受け取ると、まず我が子に与えようとするが、幼子は眠っているのか水を飲もうとしない。

それではと妻に一口与えた後、男は袋を帰してよこす。

あなたもお飲みなさい。

ですが、残りが少なくて。どうぞ導師様がおあがりになってください。

極限の状態にあってなお、他者へのいたわりを忘れない。すばらしいことだ。

私はよいのですよ。さぁ、お飲みなさい。

老婆は優しく、しかし有無を言わさずに男に水を与える。

地に頭をこすりつけるようにして男はありがたがると、一口含んだ。

そしてその後、ほんの少し老婆が注意をそらしたその刹那に夫婦は眠りに落ちていた。

もはや限界だった。

水が尽きれば、真っ先に幼子が命を落とすだろう。そして、その時は目前に迫っている。

幼子が死ねばこの心優しい両親は、生きる意欲を失ってしまうだろう。その場で力尽きてしまうかもしれない。

しかし星の位置からも、気の満ち具合からも、あと数日のうちに集落やオアシスがあるのは望めない。

老婆は聖印を取り出すと天を仰いだ。

杖を正中にかざし、呼吸を整え、気を練り、祈りを高めてゆく。

この心優しき夫婦と幼き命を救いたい。老婆は祈り、気を練り上げてゆく。

ふと、老婆の鼻孔に懐かしくも異質なにおいがした。この場所では嗅ぎえるはずの無い、緑のにおい。

老婆が目をひらくと、なんと自らの杖が芽吹いている。

老婆は神の愛と奇跡に感謝するとともに、自らの最後を悟った。

杖を大地に突き立てると、それを包み込むように自らの体でそっとくるむ。

老婆の気は強く、大きく、濃密になり、広がってゆく。まるで、世界そのものとひとつになるかのように。

男が目を覚ます。

あたりは暗く、周囲はなにやら湿っぽい感じがする。

へんだな。夜にしては暗すぎるし、寒くない。

天には星が見えず、凍えるような寒さがない。

男は妻と我が子の無事を確認すると、老婆の姿を探す。

導師様。

しかし、返事はない。しかたなく男は妻子を連れて進むことにした。

どうやら今いる場所は、洞窟のようなものの中のようだ。

曲がりくねった道を少し行くと、すぐ出口にたどり着いた。

これは・・・?

男が言葉を失う。

一家が歩み出たそこは洞窟ではなく、巨大な木の根の間だった。

途方もない大きさだった。根っこひとつとってみても大の大人の3倍はある。その頂ははるかかなたに消え、傘のように広がった梢は砂漠の熱射をやわらげ、心地よい木漏れ日を投げかけてくれている。

さやさやと心地よくそよぐ葉擦れの音は、疲れきった心を安らげてくれる。

手の届くところに張り出した枝には、なんと果実が実っている。

まるで別の地のようだった。

だが、足元に絡みつく砂がここがあの砂漠であることを物語っている。

あなた。

妻が男に声をかける。その声は驚きに震えていた。

我が子の手には、あの老婆が身につけていた聖印が握られている。

幼子はお気に入りのおもちゃを手にしたときのような、満面の笑みを浮かべている。今までの疲労が嘘のような輝く笑顔だ。

周囲を探してみたが、老婆の姿はどこにもない。

奇跡・・・・か。

この後、この一家はこの地にて暮らしをはじめた。

最初は初めに居た根の間に眠り、果実を食み、朝露を集め、落葉と枝で暖を取った。

数ヶ月もしないうちに、鳥が大樹に拠るようになった。

支枝を落とし、大きな根に寄りかかるように家を建てた。鳥を捕り、茸を採り、雨季には水を蓄えた。

何年かのち、大樹の周囲は湿った土を要する大地となり、草を食む動物とそれを狙う獣が住み着いた。

大地に土台をつけた家を建て、柵を囲い放牧を行った。やがて獣は牧羊犬として飼いならされた。

さらに十数年のちには泉が湧き、それにより田畑を生みだした。

さらに幾年かのちには、泉より魚や貝、小さな甲殻類、水菜などがもたらされた。

年々豊かに変わりゆくこの地に、毎年少しづつ人が増えていった。新たに来る者。そして、この地で生まれる者が。

いつしかこの地は"グランド・マザーグリーン"とか"聖者の祝福の地"とか呼ばれ、過酷な砂漠を渡る旅人たちの憩いの場所として大いに栄えた。

天を貫く巨木は、砂漠を渡る目印として永く人々の役に立った。

そして不思議なことに、豊かなこの地で大きな争いが起きることも、この地が大きな争いに巻き込まれることもなかったと言う。